—多岐にわたる著者の全業績を網羅し、テーマ別に再構成
ロシア文学・民俗学、ソ連社会主義批判、日本情況論、言語表現論など、著者が積極的に関わってきた同時代の知的フィールドは極めて多岐にわたる。その多面的な探求のもとになされた著者の旺盛な40年余の文業を集大成し、テーマ別に再構成して重層的な理解を可能とする編集方針をとった。
《日本図書館協会選定図書》
▼全収録作品の6割が、今回はじめて本著作集に収録。
▼主要単行本は完全収録。
▼最終巻(第7巻)に「年譜」「写真」「著作目録」を付す。
《第3巻内容》
エセーニンからソルジェニツィンまで、著者のこよなき偏愛と葛藤の対象の作家たち。彼らは文学において自己の使命を全うしようとしたがために、必然的に権力と激しく確執を醸した人々でもあった。
■ロシアにおける文学と革命の交錯
ロシアにおいて「文学」とは単に芸術の一分野というものではなく、その内部に「哲学・思想・歴史・倫理」を包含する巨きな役割を担ってきたと言われる。そして、その「文学」は、到来した社会革命と果たしてどのように遭遇し、また遭遇せざるを得なかったか。ロシアを襲ったボリシェヴィキ革命が「文学」にもたらした軋みの諸相を個々の文学者たちの肖像を通じて、その悲劇的意味について考察する。
■作家ソルジェニーツィンとの邂逅と別れ
なかでもいわゆる「雪解け」後、「イワン・デニーソヴィチの一日」を引っ下げて登場した作家ソルジェニーツィンの存在は著者にとって特別な意味をもつ。彼の文学に共鳴し、全身で並走を続けながら、しかしやがて離反していくこととなるこの作家に関する著者の文章を、執筆年代順に集大成する。
解題—陶山幾朗 題字—麻田平草 カバーデザイン—飯島忠義
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《推薦の言葉》
垣間見えた鮮やかなロシアの大地■吉本隆明(評論家)
内村剛介は、はじめその無類の饒舌をもってロシアとロシア人について手にとるように語りうる人間として私の前に現われた。以後、ロシア文学の味読の仕方からウオッカの呑み方に至るまで、彼の文章や口舌の裂け目から、いつも新鮮な角度でロシアの大地が見えるのを感じ、おっくうな私でもそのときだけはロシアを体験したと思った。
私のような戦中派の青少年にとって、実際のロシアに対する知識としてあったのはトルストイ、ドストエフスキイ、ツルゲーネフ、チェホフのような超一流の文学者たちの作品のつまみ喰いだけと言ってよかった。太平洋戦争の敗北期にロシアと満洲国の国境線を突破してきたロシア軍の処行のうわさが伝えられたが、戦後、ロシアの強制収容所に関して書いたり語ったりしている文学者の記録について、私はもっぱら彼が記す文章から推量してきた。
内村剛介にとって十一年に及んだ抑留のロシアは、この世の地獄でありまた同時に愛すべき人間たちの住むところでもあったが、この体験をベースとした研鑽が作り上げた彼のロシア学が、ここに著作集となって私たちを啓蒙し続けてくれることを期待したい。
智の持つ力を再認識させるために■佐藤優(作家・元外交官)
内村剛介氏は、シベリアのラーゲリ(強制収容所)における体験から、ロシアをめぐる個別の現象を突き抜け、人間と宇宙の本性をつかんだ稀有の知識人である。私自身、外交官としてロシア人と対峙したときに、内村氏の『ロシア無頼』から学んだ「無法をもって法とする」というロシア人の思考をきちんと押さえておいたことがとても役に立った。
また、私が鈴木宗男疑惑で逮捕され、東京拘置所の独房で512日間生活したときも、内村氏が『生き急ぐ』で描いた獄中生活の手引きに大いに励まされた。かび臭い独房の中で、学生時代に読んだ『生き急ぐ』のことを何度も思い出し、「この状況からはい上がってきた日本の知識人がいるのだ。僕も頑張らなくては」と何度も自分に言い聞かせた。
『内村剛介著作集』刊行を歓迎する。日本の読書界に知のもつ力を再認識させるために、この著作集が一人でも多くの人に読まれることを期待する。
「見るべきほどのこと」を見た人■沼野充義(ロシア・東欧文学者)
内村剛介は私がもっとも畏怖するロシア文学者である。ソ連や共産主義といった巨大な対象を相手にして本質を見抜く眼力の鋭さと、ロシア語そのものの魂に食らいつく語学力、そしてラディカルな正論を繰り広げる気迫に満ちた日本語。そのいずれをとっても、従来の文人タイプのロシア文学者の枠をはるかに超え、私たちの一見平穏な日常を強く撃つものだ。いや、二葉亭四迷以来、ロシア文学を熱心に輸入し消費しつづけてきた近代日本にあって、内村剛介はロシアを踏まえながらロシアを超えて批評家として自立したほとんど最初のケースではないだろうか。
その原点にあるのは、戦後十一年もの長きにわたったシベリアの収容所経験である。それはソ連文明という二十世紀が生んだ謎のモンスターのはらわた内臓を見極める地獄めぐりだったが、同時に限りなく懐かしい魂の根源への旅でもあった。だからこそ、彼は「見るべきほどのことは見つ」と言い放てるのだ。
ソ連が崩壊し、世界が別の怪物の内臓に呑み込まれつつあるいまこそ、私たちはもう一度真剣に、この厳しくも優しい稀有の思想家の声に耳を傾けなければならない。
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■著者略歴
内村剛介(評論家・ロシア文学者)1920年、栃木県生まれ(本名、内藤操)。
1934年、渡満。1943年、満洲国立大学哈爾濱学院を卒業。同年、関東軍に徴用され、敗戦とともにソ連に抑留される。以後、11年間をソ連内の監獄・ラーゲリで過ごし、1956年末、最後の帰還船で帰国する。
帰国後、商社に勤務する傍ら文筆活動を精力的に展開し、わが国の論壇、ロシア文学界に大きな影響を与える。著書に『生き急ぐ—スターリン獄の日本人』、『呪縛の構造』、『わが思念を去らぬもの』、『ソルジェニツィン・ノート』、『流亡と自存』、『信の飢餓』、『失語と断念』、『ロシア無頼』、『わが身を吹き抜けたロシア革命』など多数。また訳書にトロツキー『文学と革命』、『エセーニン詩集』などがある。1973年から78年まで北海道大学教授、1978年から90年まで上智大学教授などを勤める。2009年1月死去(享年88)。
■編者略歴
陶山幾朗 1940年、愛知県生まれ。
1965年、早稲田大学第一文学部を卒業。著書に『シベリアの思想家——内村剛介とソルジェニーツィン』、共著に『越境する視線—とらえ直すアジア・太平洋』、『内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく——私の二十世紀』など。現在、雑誌『VAV(ばぶ)』主宰。