—多岐にわたる著者の全業績を網羅し、テーマ別に再構成
ロシア文学・民俗学、ソ連社会主義批判、日本情況論、言語表現論など、著者が積極的に関わってきた同時代の知的フィールドは極めて多岐にわたる。その多面的な探求のもとになされた著者の旺盛な40年余の文業を集大成し、テーマ別に再構成して重層的な理解を可能とする編集方針をとった。
《日本図書館協会選定図書》
▼全収録作品の6割が、今回はじめて本著作集に収録。
▼主要単行本は完全収録。
▼最終巻(第7巻)に「年譜」「写真」「著作目録」を付す。
《第4巻内容》
ロシア・インテリゲンチャとは何か。またそれは如何なる意味で問題的問題となるのか。[インテリゲンチャ/ナロード]というロシア的メビウスの環を、著者独特のアプローチから読み解く。
■〈インテリゲンチャ〉というテーマの普遍性
近代世界に遅れて登場したロシアがその内的必然から提起した問題として「ロシア・インテリゲンチャとは何か」というテーマがある。ロシア特有のこの課題は日本にも輸入されて日本型知識人のテーマとして受容され、「知識人とはいかなる人間か、またいかにあるべきか」という問題として血肉化されていった。著者はその系譜と問題性を剔抉するべく、先ずロシアの生んだ巨人ドストエフスキーを俎上に上げ、その真骨頂を探るとともに、日本知識人に祀り上げられてきた「ヤマト・ドストエフスキー」という偶像化を排し、独自のドストエフスキー像を呈示する。
■人間にとって革命とは何か——コングロメラ・デ・リュス
ロシア・インテリゲンチャ論とは同時にロシア・ナロード論でもある。「社会主義」に向かう社会的波濤と直面することとなった革命期のロシア・インテリゲンチャたちは、この巨大な波濤とどのように対応・対峙したか。「コングロメラ・デ・リュス」論において、詩人エセーニン、ブロークたちの苦悩を辿りながら、ロシアにおける「神」と「社会主義」の諸相を追尋し、「人間にとって革命とは何か」を問うに至る。
解題—陶山幾朗 題字—麻田平草 カバーデザイン—飯島忠義
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《推薦の言葉》
推薦のことば■川崎浹(ロシア文学者)
ロシア革命が「全世界史」のなかでどのような位置を占めているか、日本人は日本海の背中越しにしか見てこなかった。この問題を剛腕と自らの言葉で真正面に引き据えたのが内村剛介である。
いま、それらの評論が著作集にまとめられると、一貫した意図のもとに最初から主題別の長編論文が書きつがれてきたかのような印象をうける。社会主義、ラーゲリ、ロシア文学、ハルビン学院、「ジャパン」の文化と、すべてが文明批評の視点から俯瞰されている。しかもそこにはつねに死と向きあう「実存」の姿勢も潜んでいる。
「ジャパン」は内村の異才と執念によって「全世界史」のなかの社会主義を、さらに社会主義をとおしての「全世界史」を、またその副産物として鏡に映されるジャパンの像を見る目をもつことができた。そのような強烈な個性と相応の自負をもつ内村剛介を抜きにして、二〇世紀日本の思想をふり返ることはできない。
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■著者略歴
内村剛介(評論家・ロシア文学者)1920年、栃木県生まれ(本名、内藤操)。
1934年、渡満。1943年、満洲国立大学哈爾濱学院を卒業。同年、関東軍に徴用され、敗戦とともにソ連に抑留される。以後、11年間をソ連内の監獄・ラーゲリで過ごし、1956年末、最後の帰還船で帰国する。
帰国後、商社に勤務する傍ら文筆活動を精力的に展開し、わが国の論壇、ロシア文学界に大きな影響を与える。著書に『生き急ぐ—スターリン獄の日本人』、『呪縛の構造』、『わが思念を去らぬもの』、『ソルジェニツィン・ノート』、『流亡と自存』、『信の飢餓』、『失語と断念』、『ロシア無頼』、『わが身を吹き抜けたロシア革命』など多数。また訳書にトロツキー『文学と革命』、『エセーニン詩集』などがある。1973年から78年まで北海道大学教授、1978年から90年まで上智大学教授などを勤める。2009年1月死去(享年88)。
■編者略歴
陶山幾朗 1940年、愛知県生まれ。
1965年、早稲田大学第一文学部を卒業。著書に『シベリアの思想家——内村剛介とソルジェニーツィン』、共著に『越境する視線—とらえ直すアジア・太平洋』、『内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく——私の二十世紀』など。現在、雑誌『VAV(ばぶ)』主宰。