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團 伊玖磨 歌曲集

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収録曲 全34曲

 

 

—昭和〜平成と日本音楽界の礎となり、多くの後続の音楽家に影響を与える作品を遺した團 伊玖磨。幾多の歌曲群から「東京小景」「美濃びとに」「ジャンコクトーに依る八つの詩」ほかをセレクト。

 

《'01レコード芸術誌準特選盤


 

■収録曲

 

『美濃びとに』(北原白秋)

 1. うた

 2. 秋

 3. 閑か

 4. 美濃びとに

 5. 雀おどり

 6. ひぐらし(『わがうた 』より 北山冬一郎)

 7. 紫陽花(『わがうた 』より 北山冬一郎)

 

『三つの小唄』(北原白秋)

 8. 春の鳥

 9. 石竹(『三つの小唄』北原白秋)

10. 彼岸花(『三つの小唄』北原白秋)

 

『東京小景』(大田黒元雄)から

11. 駿河台

12. 日比谷

13. 銀座

14. 人形町

15. よし町

16. 両国

17. 舟唄(『五つの断章』より 北原白秋)

18. 秋の野(『六つの子供のうた』より 北原白秋)

19. さより(『六つの子供のうた』より 北原白秋)

 

『抒情歌』(大木 実)

20. 花季

21. 路地の子

22. 藤の花

 

『ジャンコクトーに依る八つの詩』(堀口大學 訳)

23. 港

24. レア

25. 耳

26. 山鳩

27. 黒人と美女

28. 唄

29. よいもの

30. 偶作

31. 旅上 (萩原朔太郎)

32. はる (谷川俊太郎)

33. 花の街(江間 章子)

34. こもりうた(野上 彰)

 

 

《各誌レビューより》

 

「レコード芸術」('02年2月号)  畑中良輔氏

 

関定子の精力的な演奏活動は、日本国内はもちろん、最近は海外での活動にも力が入ってきた。そのいずれも高い評価を受けてきているが、特に「日本歌曲」にその真骨頂が示されている。これまでのCDにあっても、山田耕筰歌曲全四枚にわたる「百曲集」をはじめ、最も筆者が高く評価したい「藤井清水歌曲集」は、今後といえどもここまで踏み込んだ歌唱は当分現れないだろうと思われるほど見事な成果を示している。もちろん「橋本國彦歌曲集」も、彼女の歌唱ならではの表現が橋本歌曲の美質を吸い上げ、大きな花を開かせている。 今回は昨年この世を去った團伊玖磨の歌曲の鳥瞰図的な、そして團伊玖磨が辿った歌曲の歴史が巧みに編まれている。彼の作曲家としての出発点となった《六つの子どものうた》や《五つの断章》は全曲ではない(声域の都合もあったのかもしれない)、むしろ《美濃びとに》《三つの小唄》の、團歌曲としてはそれほどポピュラーでない歌曲集が、聴きごたえのある内容でここに収められているのがいい。これも最近ぽつぽつとり上げられるようになってきた《東京小景》も、イキで小股の切れ上がった小品の味が、それぞれの小景に浮かび上がる巧みな表現にいまひとつ“時代の色”の欲しい気もするが、現在こうした“久保田万太郎的世界”をシャレのめして歌える若い声楽家はないのかもしれない。同じく《コクトーによる八つの詩》も、良く練られた歌で感心させられ、また塚田佳男のピアノがリズム、音色とも、鮮やかなマルセイユあたりの港町の色彩を描き出し、関もこの港中心の猥雑な雰囲気の中に滲むペーソスを巧みに歌い上げている。しかし、関の声はこうした小曲の、カラリとした地中海的透明さより、情感に裏打ちされた歌曲のほうが似合うのではあるまいか。その点彼の絶作となった《マレーの乙女の歌へる》全曲が聴きたかった。この大作歌曲集全曲を関定子の世界の中に置いてみたいものだ。 

 

 

「レコード芸術」('02年2月号)  喜多尾冬彦氏

 

どの曲もアーティキュレーションといい、イントネーションといい、なめらかでこまやか。声の統御も、形もぴったりきまっていて完璧と言うほかない。どこも■刻の跡をとどめず、これほどの技を身につけた歌い手を他に思い浮かべるのが困難なほどだ。そのなめらかさとこまやかさは、完璧無欠な化粧術と似ていて、濃厚な脂粉の香りがただよってくる。うっとりと引き寄せられる媚薬的な香りで、いちどそのとりこになったら、容易に抜け出せない恐さも感じさせる。と言ってけっして退廃的な迫り方ではなく、人生を天真爛漫に楽しむ楽天性を示している。たとえば〈彼岸花〉のような曲の、「憎い男の心臓を/針で突かうとした女、/それは何時かのたはむれ」で、心臓に針を突き刺そうとする殺意の強さは、“何時かのたはむれ”というはぐらかしの箇所で上手に上塗りされてしまう。見事な心の化粧術だ。そして曲の最後で“午後三時の鐘が鳴る”ときには、殺意の力は今宵への新たな出合いへの期待に心を踊らせるはずみへと転化している。《東京小景》中の〈駿河台〉で、ニコライ堂の伽藍に集まるまばゆい光にも、美しいきらめきへの純なよろこびがひびき出て、ヒューマンな讃歌が聴き取れる。ほとんど健康的と言ってよい生き方で、自分の女らしさへの絶対的な信頼がある。それが自信を生み、 その自信が自分を完璧に仕上げる意欲につながり、どの曲にも“自分”が大きく顔を覗かせている。しかしそれが生臭くないのは、有無を言わせぬ完璧な形の創出に、つまり自分の普遍化に成功しているからだろう。人生はこう生きたいものだ、誰もがそう生きたいと願いながら、自分を完璧に御せないで苦しんでいるのが現実だ。私もそのひとりであるのは言うまでもない。

 

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