—今甦る日本歌曲の揺り籠
文明開化の日本人にとり、西洋のメロディーに日本語をのせて歌うことは困難をきわめた。当初、この大問題を一手に引き受けたのが「讃美歌」だった。
宣教の必要にせまられた明治のクリスチャンたちは、猛烈な勢いで試行錯誤を繰り返し、すでに明治20年代には、今なお愛唱される歌を含む讃美歌集、聖歌集を出版し始める。
「ノウハウは欲しいがキリスト教は欲しくない」明治政府は、そのノウハウを吸収しつつ「讃美歌」に倣い新たな「替え歌」をつくる、これが唱歌の始まりである。
「讃美歌」と「唱歌」は、日本歌曲史において揺り籠とも言うべき双児の兄弟であった。
前作「明治讃美歌・珠玉集」同様、塚田佳男によるリードオルガン伴奏、ソプラノは関定子による。2008年3月、東京オペラシティ《近江楽堂》でのリサイタルを収録。
■収録曲
1. 庭の千草(里見 義詞/アイルランド民謡)
2. 才女(作詞者未詳/スコット曲)
3. 故郷の空(大和田建樹詞/スコットランド民謡)
4. 埴生の宿(里見 義詞/ビショップ曲)
5. 故郷の廃家(犬童球渓詞/ヘイス曲)
6. 旅愁(犬童球渓詞/オードウェイ曲)
7. ローレライ(ハイネ詩/近藤朔風訳詞/ジルヒャー曲)
8. 野なかの薔薇(ハイネ詩/近藤朔風訳詞/ウェルナー曲)
9. 星の界(杉谷代水詞/コンヴァース曲)
10. 故郷を離るる歌(吉丸一昌詞/ドイツ民謡)
11. 夏は来ぬ(佐佐木信綱詞/小山作之助曲)
12. 花(武島羽衣詞/滝廉太郎曲)
13. 青葉の笛(大和田建樹詞/田村虎蔵曲)
14. 紅葉(高野辰之詞/岡野貞一曲)
15. 冬の夜(文部省唱歌)
16. 雁(文部省唱歌)
17. 海(文部省唱歌)
18. 朧月夜(高野辰之詞/岡野貞一曲)
19. 冬景色(文部省唱歌)
20. とんび(葛原しげる詞/梁田貞曲)
21. 故郷(高野辰之詞/岡野貞一曲)
22. 美し夢(内藤濯詞/シューベルト曲)
《解説より》
—明治に始まった日本の近代化とは「国家」の創造であり、西欧列強に囲まれた国際情勢の中では手段を選ぶ余裕はなく、日本は、西欧の制度・文化の模倣から始めるしかなかった。学校教育はその近代化=西洋化の担い手たる「国民」を創り出すための土台であった。
音楽教育も学校の現場でこの目的に添って始められ、「唱歌」はその音楽教育の柱だった。「唱歌」が1941年まで音楽の教科名だったことも、そのことを物語っている。
—このCDのプログラムにある唱歌は、唱歌の歴史の最初期である明治17年から大正7年までの約30年間に唱歌となったものである。この時期の唱歌には、外国生まれ”翻訳”唱歌と日本人作曲家による”国産”唱歌があるが、
本作では前半を”翻訳”唱歌、後半を”国産”唱歌にあてている。
リードオルガン(足踏みオルガン)はピアノより持ち運びが楽で安価なことから宣教の現場では欠かせないものだったが、同じ理由で、日本の学校教育に必須のものとなった。
日本では長らくオルガンといえばリードオルガンのことで、日本歌曲伴奏の第一人者である塚田佳男と音楽の出会いもまた、小学校の教室であった。塚田には、小学三年生の時、初めて出席した教会の日曜学校で《むくいをのぞまで》を聞いて、感激あまり泣き出してしまったという思い出がある。
残念ながらリードオルガンは、今では教育現場からほとんど姿を消し、教会でもパイプオルガンや電子オルガンにその地位を奪われてしまった。しかしリードオルガンには他の楽器には替え難い魅力がある。この演奏会の狙いには、ピアノ伴奏一辺倒の中にあって、あらためてリードオルガンの歌曲伴奏楽器としての可能性を問いたい、という塚田の強い思いがあった。塚田のこの思いなくしてこの企画は生まれえなかった。