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内村剛介著作集(全7巻)/第6巻 ―日本という異郷―

¥5,500 税込
商品コード: 978-4-87430-046-6
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著者 内村剛介〔著〕/陶山幾朗〔編〕 体裁 A5判 上製本 625頁 発行 2012年3月


—多岐にわたる著者の全業績を網羅し、テーマ別に再構成

ロシア文学・民俗学、ソ連社会主義批判、日本情況論、言語表現論など、著者が積極的に関わってきた同時代の知的フィールドは極めて多岐にわたる。その多面的な探求のもとになされた著者の旺盛な40年余の文業を集大成し、テーマ別に再構成して重層的な理解を可能とする編集方針をとった。

▼全収録作品の6割が、今回はじめて本著作集に収録。
▼主要単行本は完全収録。
▼最終巻(第7巻)に「年譜」「写真」「著作目録」を付す。


 《第6巻内容》

[日本/ジャパン]との確執。著者が「シベリア」から持ち帰った苛酷な尺度に照らすとき、戦後日本、及び日本知識人はどのように映じたか。


■近くて遠い〈ジャパン〉への眼差し

著者がものを書く究極の関心は言うまでもなく日本そのものにある。しかし、著者にとって眼前の日本は、あえて「ジャパン」と呼んで或る距離を置かざるを得ない、近くて遠い存在でもある。その日本という風土に生まれた湿潤な思想と、その思想を体現する日本知識人に対する冷徹鋭利な批評を(情況論)として発表年代順に収める。


■「観念の美」を峻拒する——戦後日本知識人批判

著者にはもともと戦後日本の論壇をリードした知識人への本質的な嫌悪がある。「もはや戦後ではない」と喧伝されはじめた頃に帰還した故国で、著者が目撃したのは、社会主義ソ連に膝を屈する戦後左翼の頽廃と、「観念の美」の前に遭難していく知識人たちの無残な姿であった。例えば「有限であるべき闇を無制限に広げる」埴谷雄高批判はその一例である。一方、二葉亭四迷をはじめとする、青春時代から著者の愛好してきた日本の作家たちの肖像を付し、〈情況論〉〈知識人論〉〈作家論〉の三部構成とした。また著者の中国に関する論考をもここに含める。


解題—陶山幾朗  題字—麻田平草  カバーデザイン—飯島忠義


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岡本雅美(評論家・水利研究家)■「解説」より

『生き急ぐ』は副題に「スターリン獄の日本人」と付けて、一九六七年九月に三省堂新書の一冊として出版された。このことで特記したいのは、これが書かれたのは帰国十年後だったことである。因みに、画家香月泰男が、「黒いシベリア・シリーズ」を描いたのも帰国から十年後だった。この十年という歳月こそは、体験が帰国後の生活の中で熟成し発酵するに要した時間であったのだろう。またこの間に、香月の場合には、渡仏して発見した香月の色(黒)とフォルム(画面を埋める顔、顔、顔を見よ)があったし、内村の場合には、『イワン・デニーソヴィチの一日』の文体を知ったことがあったと思う。ソルジェニーツィンと違い、評論という形式でものを書く「初代インテリ」と自己規定する内村が——「タドコロ」というこの作品だけの分身を登場させる工夫はあったにせよ——詩歌小説戯曲のような創作でも体験記でも自伝でもない、(文壇の定義とは違うが)一世一代の私小説を書いた、というのが一読者としてのわたしの読後感である。



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《推薦の言葉》

垣間見えた鮮やかなロシアの大地■吉本隆明(評論家)
内村剛介は、はじめその無類の饒舌をもってロシアとロシア人について手にとるように語りうる人間として私の前に現われた。以後、ロシア文学の味読の仕方からウオッカの呑み方に至るまで、彼の文章や口舌の裂け目から、いつも新鮮な角度でロシアの大地が見えるのを感じ、おっくうな私でもそのときだけはロシアを体験したと思った。
私のような戦中派の青少年にとって、実際のロシアに対する知識としてあったのはトルストイ、ドストエフスキイ、ツルゲーネフ、チェホフのような超一流の文学者たちの作品のつまみ喰いだけと言ってよかった。太平洋戦争の敗北期にロシアと満洲国の国境線を突破してきたロシア軍の処行のうわさが伝えられたが、戦後、ロシアの強制収容所に関して書いたり語ったりしている文学者の記録について、私はもっぱら彼が記す文章から推量してきた。
内村剛介にとって十一年に及んだ抑留のロシアは、この世の地獄でありまた同時に愛すべき人間たちの住むところでもあったが、この体験をベースとした研鑽が作り上げた彼のロシア学が、ここに著作集となって私たちを啓蒙し続けてくれることを期待したい。

智の持つ力を再認識させるために■佐藤優(作家・元外務事務官)
内村剛介氏は、シベリアのラーゲリ(強制収容所)における体験から、ロシアをめぐる個別の現象を突き抜け、人間と宇宙の本性をつかんだ稀有の知識人である。私自身、外交官としてロシア人と対峙したときに、内村氏の『ロシア無頼』から学んだ「無法をもって法とする」というロシア人の思考をきちんと押さえておいたことがとても役に立った。
また、私が鈴木宗男疑惑で逮捕され、東京拘置所の独房で512日間生活したときも、内村氏が『生き急ぐ』で描いた獄中生活の手引きに大いに励まされた。かび臭い独房の中で、学生時代に読んだ『生き急ぐ』のことを何度も思い出し、「この状況からはい上がってきた日本の知識人がいるのだ。僕も頑張らなくては」と何度も自分に言い聞かせた。
『内村剛介著作集』刊行を歓迎する。日本の読書界に知のもつ力を再認識させるために、この著作集が一人でも多くの人に読まれることを期待する。

「見るべきほどのこと」を見た人■沼野充義(ロシア・東欧文学者)
内村剛介は私がもっとも畏怖するロシア文学者である。ソ連や共産主義といった巨大な対象を相手にして本質を見抜く眼力の鋭さと、ロシア語そのものの魂に食らいつく語学力、そしてラディカルな正論を繰り広げる気迫に満ちた日本語。そのいずれをとっても、従来の文人タイプのロシア文学者の枠をはるかに超え、私たちの一見平穏な日常を強く撃つものだ。いや、二葉亭四迷以来、ロシア文学を熱心に輸入し消費しつづけてきた近代日本にあって、内村剛介はロシアを踏まえながらロシアを超えて批評家として自立したほとんど最初のケースではないだろうか。
その原点にあるのは、戦後十一年もの長きにわたったシベリアの収容所経験である。それはソ連文明という二十世紀が生んだ謎のモンスターのはらわた内臓を見極める地獄めぐりだったが、同時に限りなく懐かしい魂の根源への旅でもあった。だからこそ、彼は「見るべきほどのことは見つ」と言い放てるのだ。
ソ連が崩壊し、世界が別の怪物の内臓に呑み込まれつつあるいまこそ、私たちはもう一度真剣に、この厳しくも優しい稀有の思想家の声に耳を傾けなければならない。

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■著者略歴
内村剛介(評論家・ロシア文学者)1920年、栃木県生まれ(本名、内藤操)。
1934年、渡満。1943年、満洲国立大学哈爾濱学院を卒業。同年、関東軍に徴用され、敗戦とともにソ連に抑留される。以後、11年間をソ連内の監獄・ラーゲリで過ごし、1956年末、最後の帰還船で帰国する。
帰国後、商社に勤務する傍ら文筆活動を精力的に展開し、わが国の論壇、ロシア文学界に大きな影響を与える。著書に『生き急ぐ—スターリン獄の日本人』、『呪縛の構造』、『わが思念を去らぬもの』、『ソルジェニツィン・ノート』、『流亡と自存』、『信の飢餓』、『失語と断念』、『ロシア無頼』、『わが身を吹き抜けたロシア革命』など多数。また訳書にトロツキー『文学と革命』、『エセーニン詩集』などがある。1973年から78年まで北海道大学教授、1978年から90年まで上智大学教授などを勤める。2009年1月逝去。(享年88)


■編者略歴
陶山幾朗 1940年、愛知県生まれ。
1965年、早稲田大学第一文学部を卒業。著書に『シベリアの思想家——内村剛介とソルジェニーツィン』、共著に『越境する視線—とらえ直すアジア・太平洋』、『内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく—私の二十世紀』、『内村剛介著作集(全7巻) 既刊 第1巻〜第6巻』など。現在、雑誌『VAV(ばぶ)』主宰。

 

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