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内村剛介著作集(全7巻)/第7巻 ―詩・ことば・翻訳―

¥5,500 税込
商品コード: 978-4-87430-047-3
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著者 内村剛介〔著〕/陶山幾朗〔編〕 体裁 A5判 上製本 648頁 発行 2013年9月


—多岐にわたる著者の全業績を網羅し、テーマ別に再構成

ロシア文学・民俗学、ソ連社会主義批判、日本情況論、言語表現論など、著者が積極的に関わってきた同時代の知的フィールドは極めて多岐にわたる。その多面的な探求のもとになされた著者の旺盛な40年余の文業を集大成し、テーマ別に再構成して重層的な理解を可能とする編集方針をとった。

▼全収録作品の6割が、今回はじめて本著作集に収録。
▼主要単行本は完全収録。
▼最終巻(第7巻)に「年譜」「写真」「著作目録」を付す。


 《第7巻内容》

「代表」したとき詩は亡んだ。詩は言い切るためにある。「理解」とは「曲解」である……とする著者の、詩への愛着は断言的命題となって迸り、独特の外国文学翻訳論が展開される。


●詩と詩人に対する無限の渇仰と信頼


ロシアの農民詩人エセーニンへの著者の愛着を待つまでもなく、著者の詩と詩人に対する信頼とある種の憧憬は無尽蔵なものがある。詩とは、本来「志」でありまた「死」でもあるがゆえに、それは激しく「言い切る」ものであらねばならないという持論から、ついに著者によって「代表したとき詩は亡んだ」と宣言される。エセーニンなどのロシア詩翻訳を通じて著者自身が得た至福と困難を論ずる。著者にとって骨がらみのこのテーゼから見られた日本の詩と詩人たちの様相についての論考を——アンビバレントな対象としての石原吉郎論を含め——すべて収める。


●「翻訳」とは何か——ワンの発見


著者は、自己の「ことば」に対する関心を、常に言語表現原論というフィールドに届かせながら、「翻訳」という名の、“文化後進国”日本にとっての宿命的な文化ストラグルに、その考察は及ぶ。こうした彼我の致命的すれ違いを凝視する視点から、「ワンの発見」、「辞書論」、「三上章論」等々に関する論考が多産された。


●年譜71頁、全表現リスト98頁、カラー写真頁(内村剛介アルバム 16頁)


著者の軌跡と業績の全貌を視野におさめた、編者による「年譜」「著作目録」を付録として読者の便宜を図った。内村剛介の生い立ちから哈爾濱学院時代、戦後の活動期、ロッシとの交友など写真を多数掲載し「内村剛介アルバム」とした。


解題—陶山幾朗  題字—麻田平草  カバーデザイン—飯島忠義


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佐藤優(作家・元外務省主任分析官)■「解説」より

内村氏は『科学の果ての宗教』で「二本足の小動物・人間が放射能の中をのたうちまわるとき」と述べるが、これはチェルノブィリ原発事故の十年前に書かれた文書だ。誰もが原子力の平和利用に疑いを持っていなかった時代に、内村氏は時代の行く末を洞察していたのである。二〇一一年三月十一日の東日本大震災によって発生した福島第一原発事故後の日本で、もう一度、同書を読み直すと、そこからわれわれは生き残るための新しい着想を得ることができる。
私が内村氏のテキストと二回目に出会ったのは、二〇〇二年のことだ。私は内村氏を恩人の一人と思っている。それは鈴木宗男事件に連座して、この年の五月十四日に私が「鬼の特捜」に逮捕され、東京拘置所で五一二日間の独房生活を過ごしたときに、学生時代に読んだ内村氏の著作がほんとうに役に立ったからだ。内村氏の著作は修羅場における実用書なのである。独房でもっとも辛いのは、起訴後に検察官面前調書が差し入れられ、かつて信頼して一緒に仕事をしていた外務省の上司、同僚、部下が、私や鈴木宗男氏を陥れるために供述した事実を歪曲した内容、ときには完全に捏造された物語を読まされたときの衝撃だ。このときも自己崩壊を防ぐ上で内村氏の人間観が役に立った。



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《推薦の言葉》

垣間見えた鮮やかなロシアの大地■吉本隆明(評論家)
内村剛介は、はじめその無類の饒舌をもってロシアとロシア人について手にとるように語りうる人間として私の前に現われた。以後、ロシア文学の味読の仕方からウオッカの呑み方に至るまで、彼の文章や口舌の裂け目から、いつも新鮮な角度でロシアの大地が見えるのを感じ、おっくうな私でもそのときだけはロシアを体験したと思った。
私のような戦中派の青少年にとって、実際のロシアに対する知識としてあったのはトルストイ、ドストエフスキイ、ツルゲーネフ、チェホフのような超一流の文学者たちの作品のつまみ喰いだけと言ってよかった。太平洋戦争の敗北期にロシアと満洲国の国境線を突破してきたロシア軍の処行のうわさが伝えられたが、戦後、ロシアの強制収容所に関して書いたり語ったりしている文学者の記録について、私はもっぱら彼が記す文章から推量してきた。
内村剛介にとって十一年に及んだ抑留のロシアは、この世の地獄でありまた同時に愛すべき人間たちの住むところでもあったが、この体験をベースとした研鑽が作り上げた彼のロシア学が、ここに著作集となって私たちを啓蒙し続けてくれることを期待したい。

智の持つ力を再認識させるために■佐藤優(作家・元外務事務官)
内村剛介氏は、シベリアのラーゲリ(強制収容所)における体験から、ロシアをめぐる個別の現象を突き抜け、人間と宇宙の本性をつかんだ稀有の知識人である。私自身、外交官としてロシア人と対峙したときに、内村氏の『ロシア無頼』から学んだ「無法をもって法とする」というロシア人の思考をきちんと押さえておいたことがとても役に立った。
また、私が鈴木宗男疑惑で逮捕され、東京拘置所の独房で512日間生活したときも、内村氏が『生き急ぐ』で描いた獄中生活の手引きに大いに励まされた。かび臭い独房の中で、学生時代に読んだ『生き急ぐ』のことを何度も思い出し、「この状況からはい上がってきた日本の知識人がいるのだ。僕も頑張らなくては」と何度も自分に言い聞かせた。
『内村剛介著作集』刊行を歓迎する。日本の読書界に知のもつ力を再認識させるために、この著作集が一人でも多くの人に読まれることを期待する。

「見るべきほどのこと」を見た人■沼野充義(ロシア・東欧文学者)
内村剛介は私がもっとも畏怖するロシア文学者である。ソ連や共産主義といった巨大な対象を相手にして本質を見抜く眼力の鋭さと、ロシア語そのものの魂に食らいつく語学力、そしてラディカルな正論を繰り広げる気迫に満ちた日本語。そのいずれをとっても、従来の文人タイプのロシア文学者の枠をはるかに超え、私たちの一見平穏な日常を強く撃つものだ。いや、二葉亭四迷以来、ロシア文学を熱心に輸入し消費しつづけてきた近代日本にあって、内村剛介はロシアを踏まえながらロシアを超えて批評家として自立したほとんど最初のケースではないだろうか。
その原点にあるのは、戦後十一年もの長きにわたったシベリアの収容所経験である。それはソ連文明という二十世紀が生んだ謎のモンスターのはらわた内臓を見極める地獄めぐりだったが、同時に限りなく懐かしい魂の根源への旅でもあった。だからこそ、彼は「見るべきほどのことは見つ」と言い放てるのだ。
ソ連が崩壊し、世界が別の怪物の内臓に呑み込まれつつあるいまこそ、私たちはもう一度真剣に、この厳しくも優しい稀有の思想家の声に耳を傾けなければならない。

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■著者略歴
内村剛介(評論家・ロシア文学者)1920年、栃木県生まれ(本名、内藤操)。
1934年、渡満。1943年、満洲国立大学哈爾濱学院を卒業。同年、関東軍に徴用され、敗戦とともにソ連に抑留される。以後、11年間をソ連内の監獄・ラーゲリで過ごし、1956年末、最後の帰還船で帰国する。
帰国後、商社に勤務する傍ら文筆活動を精力的に展開し、わが国の論壇、ロシア文学界に大きな影響を与える。著書に『生き急ぐ—スターリン獄の日本人』、『呪縛の構造』、『わが思念を去らぬもの』、『ソルジェニツィン・ノート』、『流亡と自存』、『信の飢餓』、『失語と断念』、『ロシア無頼』、『わが身を吹き抜けたロシア革命』など多数。また訳書にトロツキー『文学と革命』、『エセーニン詩集』などがある。1973年から78年まで北海道大学教授、1978年から90年まで上智大学教授などを勤める。2009年1月逝去。(享年88)


■編者略歴
陶山幾朗 1940年、愛知県生まれ。
1965年、早稲田大学第一文学部を卒業。著書に『シベリアの思想家——内村剛介とソルジェニーツィン』、共著に『越境する視線—とらえ直すアジア・太平洋』、『内村剛介ロングインタビュー 生き急ぎ、感じせく—私の二十世紀』、『内村剛介著作集(全7巻) 既刊 第1巻〜第6巻』など。現在、雑誌『VAV(ばぶ)』主宰。

 

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