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雲上の楽園 〜幻の雲の上の都市 松尾鉱山〜

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著者 大津茂巳〔撮影〕 体裁 A4判横 上製本 カバー装 総48頁 発行 2007年6月26日

 

—廃墟というモチーフを写した写真から何を伝えられるのか?

 

ぼくが時代の残骸になり果てた空間にレンズを向けるのは、現在の日本の基礎を築いた舞台が忘却の彼方に葬り去られる現状に一抹の危機感を感じるからです。

焦点の定まらない現代に、黙して語らない雲の上の楽園と呼ばれた松尾鉱山。そこに響き渡る無音の警鐘を届けたかったからです。歴史が繰り返しやがてこの世界が廃墟となりませんように。

 

日本は明治維新を経て、早急に産業の近代化を推し進めた。当初近代化産業に必要な資源を国内に求め、石炭を筆頭に開発・供給が始まった。

この中、松尾鉱山の歴史は明治15年、岩手県松尾村の佐々木和助、和七兄弟による硫黄鉱床の大露頭発見から始まる。東洋一の規模を誇り、標高1[:comma:]000m、人里離れた厳しい気候の山中に、独立した自治都市のように一つの会社が機能した。最盛期人口15[:comma:]000人の元山地区(緑ヶ丘)には、近代的な集合住宅、学校、病院、映画館(老松会館・友愛ホール)等が立ち並んだ。そしてマスコミはこれを「雲上の楽園」と呼んだ。

 

その後、国策にものった硫黄、硫化鉱の生産であったが、昭和30年代に入り、安い国外硫黄の輸入や化繊、パルプ業界不振の影響などで会社経営に暗雲が広がっていたところへ、いわゆる回収硫黄(石油精

製の過程でできる)の出現が決定的なダメージを与えた。昭和44年11月、半世紀の栄華を誇った東洋一の硫黄鉱山もついにその幕を閉じた。

松尾鉱山は特に坑道跡や山中の硫黄に雨水や雪解け水が触れて、pH2.2という強酸性の鉱毒水がわき出し、北上川を赤茶けた「死の川」にしてしまった。松尾鉱山の鉱毒水は、処理施設の建設によって清流を取り戻そうと毎年約6億円の費用を掛けられている。また、施設の建設費93億円を含め、鉱山閉山後の環境対策にも356億円もの税金を費やしている。

鉱山栄華のあと、負の遺産として生き続ける松尾鉱山、このように明治維新から昭和初期、そして戦後の高度成長期には様々な産業を生んでは破棄していった。その生産と破棄の繰り返しで私達の国は豊かになっていった。

 

自然破壊を代償に、数々の公害を残していき、その上に私達の現在…物が有り余る豊かな生活が存在している。そして役に立たなくなった物は破棄され、そんな産業遺産は日本のあちこちに忘れ去られて朽ちている。忘れ去ってはいけない負の遺産である。負の遺産を記録として残し、このような過去があるから今があるのだと伝えなくてはならない。

次世代に伝えていかなければ… 残していかなければ… また、同じ遺産を増やすこととなるであろう。

 

 

■著者略歴

大津茂巳 1965年、福岡県北九州市生まれ。

恵雅堂出版で主に大学内スタジオ運営と卒業アルバム制作を担当。また、写真家としても個展開催、各種アートイベントへの参加など精力的に活動中。

 

 

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