0
¥0

現在カート内に商品はございません。

晩禱 (S.ラフマニノフ) 〈2004 1.31 ロシア モスクワ音楽院ラフマニノフホール ライブ録音〉

¥1,870 税込
商品コード: 978-4-87430-047-3
関連カテゴリ
数量
カートに追加しました。
カートへ進む
収録曲 全16曲

 

—ラフマニノフ、希世の無伴奏合唱曲が生誕の地で蘇る

 

近現代音楽史を構成する最重要作曲家の一人、セルゲイ・ラフマニノフ。交響曲やピアノ協奏曲などで著名なラフマニノフがその絶頂期、ロシア正教会典礼曲に着想し書かれた全15曲からなる無伴奏合唱曲が、本CD収録の『晩祷』である。ロシア革命以降70年もの間、歴史のうねりに翻弄され、封印されてきた傑作がその生誕の地で蘇る。

 

ロシアにおける外国人初となる『晩祷』全曲演奏を収録。現地メディアで「ラフマニノフはロシア人だけのものに在らずということをトロイカ合唱団が証明した」と賞された、歴史的演奏会の完全ライブ盤。

 

 

■収録曲

 

 1. 来たれわれらの王、神に

 2. わが霊や主を讃めあげよ

 3. 悪人の謀に行かざる人は福なり

 4. 聖にして福たる常生なる天の父

 5. 主宰や今爾の言にしたがい

 6. 生神童貞女や喜べよ

 7. 至高きには光栄

 8. 主の名を讃めあげよ

 9. 主よ爾は崇め讃めらる

10. ハリストスの復活を見て

11. わが心は主を崇め

12. 至高きには光栄神に帰し

13. 今救いは世界に

14. 爾は墓より復活し

15. 生神童貞女讃歌

 

 

《『晩祷』ライナーノーツより》

 

2004年1月31日ロシア公演で確かめたかったこと■麻田恭一

 

『晩祷』の音の厚みと15曲の重層性はシンフォニーに近いが、幸運なことに我々は常任指揮者に河地良智氏を擁している。1992年から、音楽上の課題は指揮者、言葉は伊東一郎氏(早大教授)と麻田があたるという二人三脚でやってきた経験から、我々には言葉と音楽のニュアンスがぴったり合っていることに確信がある。この確信に基づいて、合唱団は『晩祷』の音楽をつくる地道な作業を毎回積み重ねて来た。これは、言葉がわからない分、音楽で組み立てるということなのだが、出来上がったものはCDで聴くロシアの合唱団のものとはどこかが違う。

ロシアのものはテンポや強弱の細かな変化が多いのだが、私の耳にはそれらの必然性が感じられず、そうした部分は今ひとつ面白く聞こえない。ロシアの合唱団に共通(スヴェシニコフのものは別格)しているところから考えて、彼らが言語情報に頼れる分、微妙なところで我々の演奏と違っているのではないだろうか。もちろんあちらが「本家」だから開き直るつもりはないが、言葉がわからないという弱点を音楽の構成力により補うことはできないだろうか。そこからロシア人とは違う、日本人だからこそできる『晩祷』というものが生まれてくるはずである。

私の関心は、ロシアの聴衆が、自分たちのものとはどこかが違う我々の演奏を、どのように受け入れるか、あるいは受け入れないか、ということであった。 

 

1月31日、モスクワ/ラフマニノフ・ホール。モスクワでもペテルブルグでもラジオ、テレビ、雑誌のインタビューがあった。予想どおり質問は判で押したように「なぜ日本人がロシア語で『晩祷』を歌うのか?」というものだった。外国人が『晩祷』をやることなどまるで予想していないことがよくわかる。モスクワの会場は、モスクワ音楽院附属のラフマニノフ・ホールだった。このホールはラフマニノフの作品が初演されたことに因んでその名を冠しており、ロシアで外国人による初の『晩祷』全曲演奏会にはもっとも相応しい会場だった。革命前は正教会の宗務院に属していたホールで、250席ほどの小さな会場である。

コンサート2日前に河地氏と音楽院の合唱音楽科主任教授チェブリン氏を表敬訪問した際、ロシアでは合唱音楽のステータスが高く、合唱専科があり、指揮者もオーケストラの指揮をしたり合唱の指揮をしたりということはなく、この2つは完全に分業されていると教授は語り、自分が指揮をした『晩祷』CDをプレゼントしてくれた。調べてみると、確かにロシアの合唱団をロシアのオーケストラ指揮者が指揮したCDはひとつもなかった。『晩祷』の全曲演奏に限っていえば、この「完全分業」が「今ひとつ面白く聞こえない」原因のひとつになっているような気がする。

プログラムは、『晩祷』の前にチャイコフスキーとチェスノコフのロシア聖歌を2曲歌うという欲張ったものだったが、『晩祷』に入って3番あたりから、明らかに客席の空気が変り、身を乗り出すように聞き始めた。日本では宗教曲では、曲間で拍手はしないということが何となく守られているが、ロシアではそんなことはまったくおかまいなしだった。曲間の拍手はしだいに大きくなっていき、休憩の前の8番では合唱団と客席は完全に一つになっていた。

後半が始まると、客席は完全に合唱団と一緒に指揮者の棒で息をしていた。オクタビストの鈴木雪夫氏から聞いたことだが、2列目にいた老婦人は、鈴木氏の好きなフレーズが始まる前にくると、必ず目をつぶってそのフレーズを待っていたそうだ。第15曲は、全曲をしめくくるに相応しく堂々としたものだった。終わって少し間をおいてから拍手が起り、次第にそれが大きくなりブラボーの声が混じり、客席全部が立ち上がっていた。我々の『晩祷』は受け入れられたらしい。

 

コンサートが終わると、例のチェブリン教授が我々のところにまっしぐらにやってきて、猛烈な握手をしてくれた。また、音楽院の担当者から今年の7月に自分の主催する日本週間に出演しないか、と早速のオファーがあった。(今回のように文化庁の援助でもつかない限り無理なので、残念ながら丁重にお断りしたが‥)

 

カテゴリ一覧

ページトップへ