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雲南・貴州 ―稲作農民と子供達― 中澤茂油絵作品集

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著者 中澤茂〔著〕/中澤明〔編〕 体裁 240*246mm フランス表紙あじろ綴じ製本 64頁 発行 2012年9月

 

【前書き】 中澤 明


メキシコ、グアテマラ、中国(北京周辺、江南)、フランス、ネパール、チベット、

ブータン、インド、スリランカ、ミャンマー、タイ、時々日本ーの国々を描いてきた

中澤茂が次のテーマに選んだ地は、中国西南部の農耕地帯、雲南省と貴州省でした。

そこに住む少数民族の人々、その生活、雄大にして厳しい自然に魅せられた中澤

は1989年から2008年の間、雲南と貴州それぞれ3回ずつ訪れています。

「俺は百姓の次男坊」と、よく口にしていた通り、新潟の米作農家に生まれた中澤

は、子供の時から田んぼの手伝いをし、大学を卒業するまで農繁期には帰省して働い

たのですが、それは未だ機械が導入される前の過酷な労働を伴うものでした。彼は、

この体験に誇りを持ち、心身を鍛えてくれたことに感謝していました。34歳でメキシ

コに渡って以来、海外の人々の暮しを題材とした作品を描き続けてきた中澤は、おの

れの出自にも関わる集大成として、雲南、貴州を描いていました。

雲貴高原(貴州省と雲南省の東部)は標高1000mから2000mのカルスト台地であり、何

百年にもわたって棚田や段々畑を築き続け、耕し続けてきた人々を思う時、その労苦

に深く頭を下げ、また雲南省西部を旅した時も、山を拓き平地を耕す勤勉な民に敬意

を払うのが常でした。彼らの使う農具も農作業の仕方も「俺たちのと、同じなんだ」

と言いながら、懐かしさと同時に喜びをもって制作する日々でした。

家族、親子、兄弟姉妹への情愛。人や生き物への優しさ。子供たちの愛らしさ。逞

しく働く庶民の姿。これらは長年中澤が絵のテーマにしてきたもので、雲南、貴州の

少数民族の中に同じものを見たのでした。各地に住む少数民族は誇り高く、それぞれ

に歴史ある文化を持ち、近年、中央や外国から様々の影響を受けながらも、訪れる人

を惹きつけて止まぬ魅力にあふれているとは多くの人の語るところです。本来なら巻

末に、旅の記録や自作への思いなど中澤自身の言葉を載せるつもりでありましたが、

命の期限が切れてしまい果たせませんでした。代りに制作中の日記から抜粋を載せる

ことといたしました。雲南、貴州の少数民族に関する本は沢山出されていますので、

関心をお持ちの方は是非見て読んで頂きたいと思います。






【雲南・貴州 の作品を制作中の日記から】中澤茂


2007年9月14日

アトリエで久しぶりに、雲貴高原の農耕民族を訪ねた時の旅日記を出して読む。


〈1992年、貴州の旅で4月29日の日記から〉

何時かは棚田に張られた水と山々を、と夢見ていた私にとって注文以上の大風景が

展開してきた。この貞豊の大パノラマは、峻厳なる大自然だけではなく、人の暮らし

が自然と相俟って、温かい情感あふれる大展望を形成している。緑の変化は美しく、

丁度、菜種の収穫時で、黄緑が風景全体に明るい楽しさをきわだたせる。

〈1993年、貴州の旅で5月23日の日記から〉

私は、伝統を守り、今日まで貴重な稲作文化を伝えた、丁寧に生きて来た民を尊敬

する。

しかも子や娘に対する親の手仕事の見事さ、その気の入れ様、すべてにおいて人間

の高度な情を知ることが出来る。仕事の良さは、心の気高さに通ずるものだ。辛抱強

くなくては、あの手仕事は出来ぬ。良い仕事は、辛抱を経て後生ずる楽地の世界だ。

それが見える民芸品を私は求めたい。


〈1994年、雲南の旅で2月9日の日記から〉

ミャンマー国境の山岳民族(佤族)の住む双相卿ヘ向う。勐阿の手前左から山道を登

る。かなりの蛇行路である。どんどん高度を上げゴム林が多くなる。高台に進むと、

遥か下を南卡江を隔てて中国側とミャンマー側とが同時に展望できる。ミャンマーの

町さえ見える。その後ゴム林を抜けて、全く山頂に塊って住むかやぶき屋根の住居が

ある。なんだか現代ではない世界へ踏み込んだ感がある。遠い祖先等の暮らしを今見

せられているようだ。のんびりとした素朴な空間に充足感をおぼえる。


2008年

3月16日

私は、メキシコ時代でも、インドでも、東南アジアでも、総て、支配者側に加担す

る主題はなく、支配される側の弱者と、それらと共に生きている動物たちの側に立っ

ているテーマを描き続けてきた。これから描く作品は、その最も代表的な農耕民族を

採択している。

100点近い作品は、すべて私の自画像となる。これをまとめて喜寿記念展をやったあ

とは、自然と日本の農村に注目して、生涯を終わることになるとよい。


7月17日  〈友人への手紙から〉

米作源流の一つ、雲南・貴州の農耕民族を描くことは、鱈田〈新潟・三条の生家の

地〉の百姓の子である私の自画像のようなものですから、〈農作業と同様〉毎日の作

業です。


10月28日

S8「田着を洗う」を加筆(中略)、生活を美に高める貴重な作品である。


12月6日  〈友人への手紙から〉

私は目下、雲南・貴州の稲作農耕民と子供たちを描き続けています。生きているう

ちに、生まれ育った百姓の世界(機械化されない人力のみの)を描いて置きたい願いで

連日過しています。


2009年

1月4日  〈友人への手紙から〉

本当にあっという間にいい歳となり、残余の生を思わぬ訳でもありませんが、まあ、

あるがままに。世の中の画論も主張も無用となり、自らに素直に作画を続けるだけで

すね。


1月26日

S10「稚児とバケツ」を加筆。新しい竹で織った壁を丁寧に描く。人の手で編む手作

りの動き、魅力が充満しているから描きたくなる。どこまでも、丁寧に質を追って描

きこむこと。

F25「露台に憩う母子」班老。これは今期の人物画の中でも、私が最も重要視してい

る主題。少しずつ構図を修正しながら質を高めてゆくこと。


2月15日 〈「刺繍でつづる母の愛・ 少数民族の刺繍工芸」展 (日中友好会館) を見て〉

久しぶりに病院〈徒歩10分の所にある〉より遠いところへあるいてゆくことになっ

た。まだ足は完全に治ってはいない。

苗族、侗族の刺繍には、あまりの精巧な技術に只々驚嘆する。実に良いものがある。

私の少数民族の生活を見る目は、「明快で、あたたかい」農民生活に対する肯定的な

崇敬の念が基本になっているので、描いていて楽しいのだと、自信をもって帰ってき

た。


2月19日

生まれ育ったのが農家だから、今描いている絵は中国であっても、実は農家の生活

は全く同じなので、体にしみ込んだ具体性がある。


4月28日  〈友人への手紙から〉

新潟の農家の次男である私は生粋の稲作農民で、東京芸術大学在席中でも多忙の季

節は、新潟で田圃しごとをしていました。父が四十六歳で他界したのが原因ですが、

今思うと、大学生活を犠牲にして、命の糧を育てる仕事に徹したわが青春は、絵画の

精神の裏付けに大いに役立っていると、運命に感謝しています。

雲南・貴州の農作業は私の若い頃と殆んど同じ用具と作業ですから、親近感が湧き、

特に牛耕を描くとき(私は馬耕も牛耕も実行しましたので)、懐かしさがこみあげてき

ます。晩期に至り、癌と共生しながらも、百姓や子供たちを自らの人生と重ね合わせ

る喜びにひたっています。無名の側に居ると世俗の誘いを絶ち易く、絵も物事も人も、

澄んで良く見えます。


6月16日 〈放射線治療の副作用で起きた呼吸困難を再発させないために行う、気管切

開の手術を二日後に控えた日〉

退院したら、アトリエ仕事を再び洗い直して,格調と力感を叩き込むか。壊して厳し

いデッサン骨法を加えるか。なめこむような描写より,写意を抱合した活々とした造形

をめざせ。呼吸、気合、息吹で動く画面を表現したい。現在のテーマの中で、その復

活は充分可能だ。売れるか売れないかより、強い生命感に充ちた絵画の実現だ。構成

の強さとタブローの質の高さだ。底から、根っ子から盛り上る生命力を画布に住ませ

て置け。


8月7日 〈友人への手紙から〉

私はあらゆる面で制限された中で生きることになりましたが、なんとか絵は描ける

つもりですので、稚拙になっても、密度のある作品になればと心掛けています。ゆっ

くりと塗り重ね、淀みのある絵になっても、それも又よかろうと、無理せず、なまけ

ず、ひたすら農民や子供達に我が思いを託して、人間生命の源である米を作る人々を

画布にとどめたいものです。


12月23日 〈2004年に中咽頭癌、食道癌、腎臓癌の発症。治療、経過観察中のところ、

本年11月新たに舌癌が発生。抗癌剤治療のために入院中〉

半月程で私は満七十八歳になるわけだ。よくここまで生きて来られた。(中略)六十

歳代、七十歳代と(中略)制作と個展を度重なる努力と共に実行してきた。それらも運

よく多くのご支援、ご協力をいただいた方々のお蔭である。

私は有名になろうとしたり、地位を爭う範囲からも去り、ただひたすら画筆一筋で

ここまで来た。画風もテーマも他の支配に従属したこともなく、自らの思うがままの

テーマと画風の中に心を遊ばせてきた。こんなに幸せな絵かき人生は、そう多くはな

いだろう。

私の喜寿の年はとんでもない年になった。6月は「気管切開」、12月は「舌癌」と言

う、死への距離を短かくした年となった。


12月26日

私も作品の中に生きているのだから、死の日まで、作品の中に自らを叩き込んで置

くことだ。


2010年

4月26日

今回の舌癌が生命とりになるかもしれない。癌と同居しながら、現在制作中の作品

群に自分を塗りこんで行くしかない。死を目前にしながら着々と制作に打ち込んで行

く。これこそ私らしい生涯の姿だと自覚している。だから作品に迷いはなく、自分の

持ち味だけで描き続けられる。画家にとっては最も幸せな時間なのである。


5月17日

次々と仕上げに入っているが、加筆する毎に良くなるので嬉しい。図柄は良いのだ

から、描写に深みを出す様、誠実な描写を続けることだ。私に出来ることに、精一杯、

忠実に。


5月23日

舌癌の闘病中でありながら、仕上げの段階に入って、作品の長短がよく見える。ど

の作品も、各々意義深いものであり、自信をもって仕上げてゆく毎日だ。嚥下に苦労

しながらも、作画の際には、面倒な仕事でも飽きずに持続する素晴しさ。その神経の

集中力はどこから出るものなのか。私自身も驚いている。


そして、殊のほか猛暑の続いた夏を耐え、最後の入院となる2010年9月22日の2日前

まで、作品を描き続けた。




■著者略歴

中澤 茂


昭和7年 新潟県三条市生まれ。

昭和29年 東京芸術大学美術学部油画科卒業。

昭和31年 東京芸術大学油画専攻科修了。

昭和35年 第22回一水会展 会員優賞。

昭和48年 メキシコ国立芸術院にて「中澤茂メキシコ作品展」開催。

昭和51年「中澤茂中国油絵作品展」(銀座ミキモトホール、京都市美術館にて開催)。

昭和61年「中国の水・メキシコの人」展開催(銀座和光)。

平成2年 「雲南大地と人々」展開催(新潟大和)。

平成7年 「ヒマラヤに生きる・ネパール」展開催(東京セントラルアネックス)。

平成9年 「ヒマラヤ・五色〈地・水・火・風・空〉の祈り・チベット・ブータン」展

開催(東京セントラルアネックス)。

平成12年 「インド・信仰の風土と原色の民」展開催(東京銀座画廊美術館)。

平成15年 「インド・東西南北のくらしから」展開催(東京銀座画廊美術館)。

平成19年 「黄金と碧水・ミャンマー・タイ・スリランカ」展開催(東京銀座画廊美術

館)。

平成22年10月永眠。

 

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