—ソ連極北の強制収容所・監獄生活24年、現代のオデュッセイアが遺すソ連70年の実相
「監獄に入ったことのない者は実はその国を知りはしない」—ロシアの文豪トルストイの名言である。フランス人ジャック・ロッシはこの名言をその身に体現して24年のソビエト獄を通過し、大著『グラーグ便覧—ソビエト懲治制度及び強制収容所関係用語歴史百科事典』を後世に遺した。本書『ラーゲリ註解事典』は、著者了解のもとにこれをテーマ別の日本語「事典」として再編集したものである。語本来の意味でユニークなこの事典は、現代ロシア生活についての根源的知識を提供するもので、おのずから「ロシア政治・社会・民俗事典」ともなっている。しかも見出し語が互いに絡み合うクロス・リファレンスが施してあり、一事が万事に連関するソビエト全体主義が示され精緻をきわめる。
日本語版は著者より最も成功した翻訳版であると評価された。それはとりもなおさず日本語版スタッフの3人がともに11年のラーゲリ経験者であったことが大きく寄与している。殊に監修者は著者の生涯の“獄友”であり、釈放後の著者を支えた人物でもある。
《書評より》
■ラーゲリの実体に迫るロシア文明論の新しい視点
24年間も旧ソ連のラーゲリ(強制収容所)に捕われていたフランス人ジャック・ロッシ氏(87歳)の『ラ−ゲリ(強制収容所)註解事典』(恵雅堂出版)が、英米につぎ日本でも刊行された。
ナチスの強制収容所とともに「二十世紀の負の遺産」であるラーゲリの謎(なぞ)を解くカギを提供する「百科事典」で、西欧知識人に衝撃を与えた一書である。
1992年からロシアで三回、95年はオーストリアとフランスで、独ソの強制収容所を比較研究する国際会議がロッシ氏も参加して開かれた。『事典』はその基本資料だ。「全体主義という同じ根から派生した二つの枝」という論点の方向だが、日本もかつて全体主義国家であり、対岸の火事ではすまされない。
第一次大戦の悲惨と貧富の差の激しい社会矛盾を目の当たりにした少年期のロッシ氏は、母の再婚先のポーランドで熱烈な共産党員となる。37年のスペイン内戦の渦中、26歳のロッシ氏はコミンテルン(国際共産組織)から派遣されてフランコ軍の背後に潜入、情勢を暗号で打電する。だが、突然召還され、いわれない罪を着せられ極北の地で重労働を強いられる。この時から彼はラ−ゲリという恐怖の制度の観察者となった。
釈放され、六四年からはポーランドのワルシャワ大学で教鞭をとりつつ、秘密裏に「事典」の執筆を始めた。80年になって、アレクサンドロフスク中央監獄の“獄友”で十一年間の抑留体験者である内村剛介上智大教授(当時)の東京の家で、初めて満足しうる執筆の自由を得る。米国の大学に招かれた際、フランス国籍の復元にも成功、85年にようやくパリに着地した。
「事典」はロンドンでロシア語版が87年に、ニューヨークで英訳版が89年に出版され、日本についでフランス、ポーランド、ドイツでも刊行の予定である。実の父親を当局に売った少年が英雄視される密告の異常な実体が詳述されている。人間の品性の最も卑劣な部分が国によって奨励され、国は倫理面で内部から腐り始めた。
まったく実現不可能な計画が押しつけられた時、人は見せかけだけのごまかし「トゥフタ」に逃げ込むしか手はなかった。ロシアの辞書にない「トゥフタ」がまん延する。「事典」は起源にまでさかのぼって詳述する。「トゥフタ」は政府統計の信用を失墜させ、市民相互の信頼感も打ち壊した。 「事典」はロシアの文明論になっている、とみた。《朝日新聞(1996年11月28日)》
◇朝日新聞・毎日新聞・産經新聞・日本経済新聞・東京新聞・信濃毎日新聞・週刊文春ほか多数メディアでとりあげられた話題の一冊。