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見るべきほどのことは見つ

¥3,630 税込
商品コード: 978-4-87430-028-2
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著者 内村剛介〔著〕 体裁 四六判 上製本 316頁

 

◆陶山幾朗と対談で語る「我が20世紀回想」◆

 

—満洲に渡った“少年大陸浪人”がシベリア獄中11年を経て〈ジャパン〉で内村剛介となるまで

 

シベリア獄中11年、あれは今にして思えばわたしの人生のもっとも充実した時間帯だったようです。大げさに言えば、平知盛ではありませんが、わたしもまた若く稚くして「見るべきほどのことは見つ」ということになったようです。その見るべきものとはわたしたちの20世紀の文明—なんといおうとそれはコムニズム文明であるほかなかった—そのわたしたちの文明の行きつくさきです。その向う側を見てしまったという思いがするのです(本文より)

 

《日本図書館協会選定図書》

 

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《書評より》

 

満州、ソ連抑留…今あえて語る■沼野充義(ロシア・東欧文学者)

 

ロシア文学者・評論家、内村剛介氏の新しいエッセイ集。エッセイはだいぶ前に雑誌等に発表されたものの再録が大部分だが、単行本未収録の貴重なものが多く、決して単なる「落穂拾い」ではない。また本書の後半を占めるのは、内村剛介研究家として目覚ましい仕事をしている陶山幾朗氏による連続インタビューである。「わが二〇世紀回想」と題して、内村剛介の日本での生い立ちから、「少年大陸浪人」として満州にわたり、ハルビンで学び、戦後ソ連の獄中に11年も抑留されてから帰国するまでの劇的な人生が描き出される。

 

内村剛介のソ連獄中体験記としては、すでに古典的名著と呼ぶべき『生き急ぐ』(初版1967年、現在講談社文庫に収録)があるが、本書のインタビューはソ連が崩壊した以後の状況を踏まえた文明論的観点からの、希有の評論家の生の声を伝える点で新しい。過去の記憶もあっという間に風化する現代では、ソ連の収容所などと言っても若い世代にはもはや想像もつかない別世界となりつつあるが、この本には今の読者に伝え届けられるべき声が響いている。

 

収録されたエッセイからは、内村剛介の多様な顔が浮かび上がってくる。ハルビン学院のリベラルな校風の中で育ち、この町に青春のユートピアを見た著者だけに、ハルビン関係の文章には特に愛情がこもっている。中でも、紀行と回想をまじえながら、ロシア・日本の満州研究の伝統をふり返りながら、日本人にとっての満州の意味を問い直した「幻のハルビン」は特に美しい。

 

別系統の文章としては、ドフトエフスキーの日本語訳の問題を英仏独訳などと比較しながら論じた「『ツミとバツ』は日本製」があって、これも刺激的である。内村氏は、キリスト教文化理解の底の浅さゆえに、内田魯庵以来日本では「憐れみ」や神の意味で使われている「裁き主」といった単語が不正確に訳されたまま引き継がれてきた点を批判するのだが、無味乾燥な比較文学的研究ではない。これはむしろ、「文化のいきちがい」を凝視し、あくまでも現実の言葉の息遣いを感じ取ろうとする本来の「語学」の観点からのアプローチである。

今の大学には「無色透明」でスマートな語学屋は多いが、このように言葉そのものを感じ生きてきた人は残念ながら極めて少ない。

 

そして一番大きな主題は、やはり、満州とシベリアの収容初体験であろう。内村剛介は、戦後デモクラシーという立場に乗って日本の満州進出を全否定する左翼に強く反発しながら、日本人にとって満州とは何であったのかもっと素直に考え直すべきだと雄弁に主張する。

ハルビン学院で知り合ったある中国人学生は、著者に向かって「中国は知れば知るほどわからなくなる」のに、「お前ら(日本人は)、単純明快、底まで分かる」と言い放った、という。安部公房の小説にても出てきそうな、この印象的なエピソードに端的に表される現実の手触りを捨象してしまっては満州はわからない、と著者は言いたいのだろう。

そして、「満州以後」はソ連における収容所体験の過酷な時期が続く。共産主義と言う20世紀文明の言わばはらわたの中を覗き込んで、11年もの獄中生活に耐えて生き延びた、と言う経験がその後内村剛介の評論活動の原点となった。「見るべきほどのことは見つ」という言葉を何のけれん味もなく言い切れる物書きは、いまどきそう多くはないだろう。《毎日新聞(2002728日号)》

 

◇毎日新聞・週間読書人・図書新聞・奈良新聞ほか多数メディアでとりあげられた話題の書

 

 

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 ■著者略歴

内村剛介(評論家・ロシア文学者)1920年、栃木県生まれ(本名、内藤操)。

 

1934年、渡満。1943年、満洲国立大学哈爾濱学院を卒業。同年、関東軍に徴用され、敗戦とともにソ連に抑留される。以後、11年間をソ連内の監獄・ラーゲリで過ごし、1956年末、最後の帰還船で帰国する。

帰国後、商社に勤務する傍ら文筆活動を精力的に展開し、わが国の論壇、ロシア文学界に大きな影響を与える。著書に『生き急ぐ—スターリン獄の日本人』、『呪縛の構造』、『わが思念を去らぬもの』、『ソルジェニツィン・ノート』、『流亡と自存』、『信の飢餓』、『失語と断念』、『ロシア無頼』、『わが身を吹き抜けたロシア革命』など多数。また訳書にトロツキー『文学と革命』、『エセーニン詩集』などがある。1973年から78年まで北海道大学教授、1978年から90年まで上智大学教授などを勤める。2009年1月逝去。

 

 

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